水俣病 解決してない

新潟県立大生が卒論発表会 〝現地を歩き学び体感〟
卒業論文を手に持つ(右から)山田、渡邊の両氏=23日、新潟市北区
(正面右から)山田、渡邊の2氏の発表を聞く参加者=23日、新潟市北区

 水俣病に関するフィールドワーク(現地調査)などにとりくむ新潟県立大学の4年生が23日、水俣病をテーマにした卒業論文の発表会を開きました。公害や社会問題への関心を広げる上で、芸術や現地を歩く体験など学びの入口を広げることが大切などと話しました。

 発表したのは山田孝太郎さんと渡邊名南(なな)さん。新潟水俣病阿賀野患者会と共催で、新潟市北区の新潟県立環境と人間のふれあい館(新潟水俣病資料館)で開かれ、市民や水俣病患者などが参加しました。

 山田さんは、「現地を歩く」学びを考察。熊本県水俣市や新潟県阿賀野川流域を歩くことで、本では得られない自然や人との出会い、私たちと同じ「日常」があると体感できたと指摘。さらに私たちとは違う、海や川で獲った魚を食べる「日常」があることにも気づき、水俣病の背景や教訓を深めることができたと話しました。その教訓を水俣病と同じような構造の社会問題、福島原発事故や沖縄の在日米軍基地問題などを失くし、起こさないように継承していくことが「私にとっての水俣病の解決」と述べました。

 渡邊さんは、過去の戦争や公害などの記憶は時代とともに風化し、語り部も当事者から非当事者へ変わるもとで、絵画や映画など芸術作品が、社会問題に関心がなかった世代の学びの入口になり得ると考察。たくましく生きる人々と公害告発の2面性で描き、今もファンを広げる映画『阿賀に生きる』や、原爆の恐ろしさと命の美しさを描いた丸木夫妻の絵画『原爆の図』などを紹介し、教訓の継承に市民の関心が不可欠で、芸術は多様な入口と受け止め方が可能だから、対話をもたらす効果もあると話しました。

 2人の発表の後、参加者と質問や意見が交わされました。水俣病に関心を持ったきっかけを聞かれた2人は、「小学校の社会科見学で水俣病と裁判を知ったが、大学で10年経っても裁判が続き解決していないと知り、水俣病に向き合おうと学び始めた」(山田)。「県内のことを学びたいと大学図書館で探していた時に水俣病の写真集を見て、まだ終わっていない公害があると衝撃を受けて学び始めた」(渡邊)と話しました。

 渡邊さんは「患者さんは人生の先輩、時には友人として付き合い、孫のように可愛がってもらい感謝しています」と話します。

 患者会から、多くの患者は自分の住む地域では水俣病と言えない辛さも抱えていて、偏見や差別がなく患者であることを日常に話せる社会になることが水俣病の最終解決ではないかと話もありました。

 「学びの間口を広くすることが継承の力になるとの2人の提案に学びたい」という感想が多くあり、「『戦争は悲惨』の切り口が苦手な若い人にも、日常や関心があるものから接近できるいろいろな学びを提案したい」「水俣病資料館で、発信や企画を考える若い人のグループを作ってみたらどうか」などの意見も出されました。

 最後に「今後も水俣病のとりくみに参加したい」と決意を語った2人。山田さんは「医療機関に就職し患者さんに寄り添うと同時に、エッセイなど文化活動で発信していきたい」。渡邊さんは「農業関係に就職し自然環境に関わっていく。水俣病に関心を持つ後輩も育てたい」と話しました。(2024年3月29日『しんぶん赤旗』)