長岡の空 赤く染まった

長岡空襲78年 追悼

 新潟県長岡市では、1945年8月1日の長岡空襲から78年を迎えた1日、犠牲者を追悼する集会やセレモニーが終日おこなわれました。

 長岡市主催の平和祈念式典は、小中学生約270人など660人が参加し、空襲で亡くなった1486人と、日中戦争と太平洋戦争の戦地で亡くなった8996人に黙とうしました。

 磯田達伸市長は、空襲で市街地の8割が焼け野原となり、家族や友人を一瞬で亡くした悲しい日を決して忘れてはいけないと強調。どんな理由があろうとも戦争を許さず平和を希求する歩みを続けると決意を述べました。

 7歳の時に長岡空襲にあった谷芳夫さん(86)は、「母に抱きかかえられ目が覚めた時にはすでに火の海だった。途中で引き返した母の背中に『かあちゃん』と叫んだのが最後の母の姿でした。田んぼから見た市街地は、B29から落とされる焼夷弾が花火のように上空やまちを赤く染めていた」と体験を話し、語り部ボランティアなど平和に向けた活動を続けたいと語りました。

 6日の広島平和記念式典に派遣される25人の中学生を代表して、3年生の熊倉茉結子(まゆこ)さんが「平和の誓い」をおこない、「長岡の空は夕焼けのように赤かったと祖父母から聞き、語り部の方の実体験は生々しく心に響きました。戦争体験を直接聞ける最後の世代として平和の大切さを語り継ぎます」と決意を述べ、大きな拍手が起こりました。(2023年8月2日『しんぶん赤旗』)