新潟水俣病 救済早く

公式確認からまもなく60年 市田・井上氏が被害者と懇談
懇談を終えた(左前列から)福地、皆川、菅原、(後列左から2人目から)市田、井上の各氏ら=24日、新潟市

 日本共産党の市田忠義副委員長と井上さとし参院議員・参院比例予定候補は24日、新潟市で、新潟水俣病被害者団体「阿賀野患者会」のメンバーと懇談しました。被害者から、5月31日で新潟水俣病の公式確認から60年になるもとで、すべての被害者の早期救済への要望がありました。

 ノーモア・ミナマタ第2次新潟訴訟原告団長の皆川榮一さん(81)は、11年も裁判を続け、原告146人の平均年齢は75歳を超え、35人が亡くなっているのに、水俣病認定も救済もされず原告は苦しみ続けていると訴え。早期解決に向けた政治的解決などへの協力を求めました。

 原告の福地幸二さん(76)は、小学生の時から阿賀野川の川魚を捕って、貴重なタンパク源として毎日食べていた生活だったが、40歳頃から手のしびれやこむら返り、視野が狭まくなる症状が出て、今も苦しんでいると訴えました。

 原告の菅原ハルさん(85)は、スーパーもない漁師町で育ち、いつも川魚を食べていた生活で、40歳頃から手のしびれやこむら返りが起きるようになったが、あちこちの医者に診てもらっても原因がわからなかったと証言。2015年に患者会の新聞広告を見て、自分の症状が水俣病に似ていると知り、夫妻で診察を受けて初めて水俣病と病名が特定されたと話しました。こむら返りが起きると「この足はいらない」と思うほどの痛みがあり、手の力が入らないため、ペットボトルのふたも開けられず、包丁も使えず、「家事ができず情けない。生きているのが辛い」と40年以上も苦しんできたと訴えました。

 市田氏は、皆さんの一番の願いである「元の体に戻してほしい」ができないのならば、水俣病と認めて救済することが、加害企業の旧昭和電工と、規制をしなかった国の責任だと強調し、被害者救済へ力を合わせたいと応じました。

 井上氏は、救済から取り残されている被害者をどう救済するかが国会の焦点になっていて、超党派の水俣病議員連盟に対して、共産党から救済対象などを拡大する新法案も提起していると紹介。早期救済へ前進させたいと決意を述べました。(2025年5月29日『しんぶん赤旗』)

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